平成の三四郎「古賀稔彦」が大館樹海ドームにやって来る(感動のバルセロナ編)

古賀選手金メダルの瞬間

今日の羽二重旦那の日記も引き続き、この度大館にいらっしゃる古賀稔彦氏の紹介になります。いよいよ今日は日本中を感動の渦に巻き込んだ、「バルセロナオリンピック」での物語を私なりに綴りますので、本日もよろしくお付き合い願います。

大会直前に吉田秀彦との稽古で左膝じん帯損傷!!

古賀選手は柔道の私塾、講道学舎からの後輩で共にバルセロナ五輪代表だった吉田秀彦選手との稽古で、大会開幕直前に左膝じん帯損傷(全治一ヶ月)の大怪我に見まわれました。歩けないほどの状態の為、当然稽古も出来ず、通常でもギリギリであった減量だったので、口にする物はカロリーメイト1本と最低限の水分補給という毎日だったようです。

怪我をさせてしまった後輩で選手村でも同部屋だった吉田選手は自分の試合もありながらも、古賀選手の身の回りの世話を率先して行い、時には気分転換に古賀選手を自転車に乗せ、バルセロナのビーチにも連れて行ったとの事です。

古賀選手の試合前日に吉田選手はオール一本勝ちで見事金メダルを獲得しますが、さすがにその日は部屋で顔を合わせる事が嫌でリビングで寝た、、、そのように吉田氏は語っております。

そして古賀選手は試合当日を迎えます。。。

痛み止め注射6本うって試合に臨む!!

怪我をしてから約10日間、稽古はおろか柔道着さえも着ていなかった古賀選手は痛み止めの注射6本をうち、約10日ぶりに柔道着に袖を通し、ぶっつけ本番の試合に臨みます。。。

2回戦から登場の古賀選手、初戦を開始20秒のともえ投げでバルガス(エルサルバドル)に一本勝ち、続く3回戦は右小内刈りの技ありで石承勝(中国)に優勢勝ち。4回戦も終始攻めてブラハ(ポーランド)に判定勝ちした。痛み止めを再度打って臨んだ準決勝では、ケガがうそのようなキレのある動きを見せ、トッド(ドイツ)に鮮やかな一本背負いを決めて一本勝ち。(この準決勝の一本背負いは素晴らしかったです。。)

決勝はハイトシュ(ハンガリー)に苦戦、、、勝敗は旗判定に持ち込まれます。私は試合終了後、判定前の古賀選手の小さなガッツポーズとハイトシュ選手の派手なガッツポーズが印象に残ってます。外国選手は判定だろうが一本だろうが勝ちは勝ちという考えが多いと思いますが、「日本柔道」特に古賀選手などはあくまでも一本を追及する柔道スタイルですので、旗判定にもつれ込んで派手なアピールをしないところに、幾許かの悔しさが感じ取れました。

判定の結果は古賀選手の旗が上がり金メダルを獲得。。。金メダルが決まった瞬間に初めて大きなガッツポーズで喜びを爆発させます。そして、この瞬間に日本中が感動し、涙を流した人も多いと思われます。

上京して1年目、菓子学校の夏休みで帰省当日の真夜中に起きたこの感動を今でも鮮明に憶えている、山田桂月堂の羽二重旦那でした。

古賀氏の写真の出典元はこちらになります。http://london2012.nikkansports.com/m/column/history/archives/p-cl-tp0-20120701-976191_m.html


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