日本中が驚いた熊本地震で羽二重旦那が願う事(後編)!!

熊本城天守閣

被災地熊本では、特に倒壊家屋の被害が甚大で、思い出の詰まった自分の家が倒壊した人々の悲しみは察するに余り有る、としか申し上げられません。今日の羽二重旦那の日記も熊本を中心とした九州のこれからに対する、私の願望を綴りますので、本日もよろしくお付き合い願います。

熊本城の象徴、石垣が無残に崩れ落ち・・・

昨日のブログで少し触れましたが、私は鹿児島に母方の叔父いて、小学生時代に鹿児島に行った事はありました。一週間くらい滞在した鹿児島では、桜島の噴火が頻繁に有り、火山灰が街中に散り落ちていたのが特に印象に残っております。鹿児島のみならず、九州各県は日本有数の観光地ですのでほかの土地にも行きたいとの想いは強くありました。

数年前にその機会に恵まれます、私の所属する消防団の旅行なのですが行き先を決めるときに、私は意を決して発言しました「熊本城が見てみたいので熊本に行きたいです」、、その結果、長崎~熊本旅行に決定!!

羽二重旦那の憧れの熊本城に行けるという事で、旅行の一ヶ月前からテンションが上がりっぱなしだった事を記憶しております。そのお陰なのかは知りませんが、熊本城に着いた時には冷静に見学できました。

憧れの熊本城は圧巻でした・・・内部に鉄筋コンクリート使用の天守も意外で驚きましたが、何よりも上部に行くにしたがって垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる形状の石垣が凄すぎて、私羽二重旦那は感動をおぼえました。しかし、その熊本城の象徴的存在の石垣が今回の地震で、無残に多くの部分が崩れ落ちてしまいました。石垣は築城以来の物だと思いますので、これは本当にショックな出来事ですが、いつかは震災前の姿に戻る事を切に願っております。

負の遺産を公開する事が人々の心に刻まれると私は感じる

このときの九州旅行で熊本城以上に強烈な印象を受けた地がありました。原爆の被害を受けた長崎市ではなく、雲仙普賢岳でした。

雲仙普賢岳

平成3年にこの山から噴き出した大規模火砕流により、43名の死者行方不明者がでてしまいました。その火砕流で家屋も埋もれてしまいます。しかし現在では、その埋もれた家屋を観光客からお金をもらって展示しています。賛否があるのは承知で申しますが、この姿勢こそが今後の被害を最小限に防ぐ為にも重要な事だと私は感じます。(この地に行ったことで初めて、犠牲者がここまで増えた理由にも興味を持つ事が出来ました)

負の遺産であってもそれを残し、多くの人に伝えていけば、教訓として心に刻まれるはずです。そして、観光により地域の活性に繋がれば一石二鳥ではないでしょうか。

私は唯一の海外(ベトナム)旅行の際にも、ベトナム戦争関連の施設には足を運びましたし、人類史上最大の負の遺産アウシュビッツ強制収容所にもいつかは行ってみたいと思っております。同じ失敗を繰り返さないためにも、負の遺産を伝えていく事が知っている者の務めだと思うのです。

そして、この震災から熊本はじめ九州全体が復興する時には、負の遺産をも売りにして、これまで以上の日本を代表する観光地に戻って欲しい、そう感じます。

そこまでたどり着くためにも自分が今出来る支援とは何か? それを考える山田桂月堂の羽二重旦那でした。

 


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