山田桂月堂 羽二重旦那の自己紹介1

はじめまして、羽二重旦那こと、山田暦人(かずひと)と申します。

※(羽二重旦那の名前の由来はもう少し先にお話します)

現在42歳、家族構成は両親と妻、子供2人の6人家族です。

知らない方も多いかもしれませんが、渋谷駅前の銅像で有名な、忠犬ハチ公の故郷秋田県大館市で生まれ育ちました。

実家は明治34年創業の山田桂月堂という菓子店を営んでおり、現在私もそこで両親と共に働いています。

簡単に説明するとこんな感じですが、現在に至るまでを順を追って紹介したいと思います。

幼いころの怖~い体験談(祖父との想い出)

現在は店の2階が自宅になっていますが、幼いころは自宅が別にあり閉店後、家族全員車で自宅に帰るという生活をしていました。晩御飯も店で食べていたので、自宅には寝に帰る様な感じでした。

3歳か4歳くらいだったと思いますが、ある日いつもの様に車で自宅に帰る途中、わたくし、あまりの睡魔に襲われて眠ってしまいました。 目が覚めると車の中には誰もいません。そうです、可愛い可愛いはずの幼子を置き忘れたのです。

真夜中、何時かは分かりませんが、車からおり、恐怖と闘いながら鍵のかかっている自宅に泣き叫び続けました。

しかし、両親や姉達は2階で爆睡中で気づかず、祖父だけが1階で就寝、しかし祖父の部屋までは距離が結構ある、そして何より移動が怖い・・・ どうしようと悩みつつ、決死のおもいで恐怖と闘い祖父の部屋まで歩く事を決意!10メートル強くらいの距離ですが、まぁ~長く感じました。部屋の前から精一杯の泣き声でおじいちゃ~んと何度も叫びました。

しばらくすると、窓が開き祖父がびっくりしながらも私を温かく抱き締めてくれました、私はもうほっとしたのもあってか、それまで以上に大号泣・・・祖父のぬくもりをいまでも鮮明におぼえています。

そんなエピソードもあってか、私はおじいちゃん子でした。小学校の高学年まで祖父と同じ部屋で寝ていましたし、色んな所にも連れて行ってもらいました。そして何より、祖父のお菓子を作る仕事をみて育ちました。

そして必ず、かずひと、お菓子作り楽しいぞお前もやれと声を掛けられました。私はいつもウンとうなずいていました。

今になって考えてみると、その約束を果たす為に家業を継いだ部分もあるのかな、と思います。そしてもう一つ・・置き忘れ当時から祖父と一緒に寝ていたので、本来祖父が私が居ないことに気付いても良かったのでは・・(笑)

まあ今は亡き大好きだった祖父なので、祖父の想いにこたえられる様、頑張って行きたいと思います。

<つづく>


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