東日本大震災から5年で山田桂月堂の羽二重旦那が感じること(後編)

奇跡の一本松

今日で東日本大震災から5年となりますね、あらためまして犠牲になられた方々のご冥福を心より申し上げます。

今日の羽二重旦那の日記は東日本大震災の象徴的存在、奇跡の一本松に羽二重旦那が思いを馳せる理由を綴りたいと思います。本日もよろしくお付き合い願います。

停電が終わるといろんな情報が入ってきました

震災翌日の夕方に停電が終わると、テレビからいろんな情報が入ってきました。まず驚いたのが今まで見たことの無い巨大な津波・・・ ミニュチュア版の町がのみ込まれる特撮なのでは、と目を疑いましたがそれは紛れもなく現実のものでした。

毎日悲しいニュースの連続で日本中が悲しみに打ちひしがれましたよね。そんな中で一筋の希望を持たせるような情報もいくつかあり、その一つが陸前高田市の”奇跡の一本松”でした。

最初のうちはさほど気に留めませんでしたが、何度も報道されているうちに興味を持ち始めます。なぜこの松だけ流されずに残ったのだろうか?

根っこが肝心、それは何事にも通じる

高田松原は、350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り、陸中海岸国立公園(現三陸復興国立公園)や日本百景にも指定されていた景勝地でありまたが、東日本大震災で発生した津波に流され残ったのが”奇跡の一本松”です。

なぜ流されなかったか、それは根っこがしっかりしていたからだろうと思います。他の松よりもその地に力強く根をはったのが奇跡に繋がったのだ、と羽二重旦那は感じたのです。

そして、それは何事にも通じる事ではないだろうか、山田桂月堂を木の幹とすれば、根は古くから支えてくれているお客様をはじめ、地元大館の人々だと思います。地元の人々の協力で根をはらなければすぐに流されてしまいます。

何事も地に足をつけてしっかり歩まないといけないと言う事をあの”奇跡の一本松”が教えてくれました。

奇跡の一本松

この松の様に、強固な根があり、しっかりとした幹があって初めて沢山の枝や花が咲く物だと強く感じ、そうならなければいけないと思う山田桂月堂の羽二重旦那でした。


あわせて、
Pocket

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*