羽二重旦那のオススメ大館駅前編「オナリ座にお成り下さい」前編

オナリ座外観

大きな反響をよんだ「タクえもん」に続き、羽二重旦那のオススメ大館駅前編、第2弾は大館駅前の象徴的な存在の一つである映画館「オナリ座」の紹介になります、本日もよろしくお付き合い願います。

大正天皇がお成りになって御成町!!

御成町の町名は、明治41年(1908)東宮(皇太子=のちの大正天皇)殿下が行啓され、大館駅からお成りになった事に由来しています。

そんな由緒ある御成町の映画館なので「オナリ座」としてオープンしたと推測されます。

羽二重旦那も幼い頃からオナリ座の常連です

山田桂月堂とオナリ座は距離にして100m位の昔から馴染みがあるご近所さんです。私羽二重旦那も幼い頃から店を閉めてからオールナイトやナイトショウを観に行く両親に付き合わされて、眠けまなこをこすりながら興味の無い映画鑑賞をした事が一番古いオナリ座の記憶であります。

毎月招待券を頂いていたので、小学校にあがると1人で映画を観る様になりました。その為、番頭役のおばあさんに顔を憶えてもらい、友達と行った時に料金を払おうとしても自分だけは「桂月堂さんだね」と顔パスで入れてもらい、一緒に行った友達は普通に料金を取られる(思春期のデートでも同様)なので、バツの悪かった思い出も多々あります(苦笑)

昭和の頃は大繁盛!!

私羽二重旦那が小中学生だった、昭和まではオナリ座には市内から多くのお客さんが集まっていたと記憶しており、羽二重少年の目には「大繁盛」しているように映っておりました。主に洋画を上映していて、平成に入ってからも話題作が上映されると、それなりにお客さんも入っていました。

「タイタニック」の上映がオナリ座最後の賑わいだったのではないでしょうか、、、しかしその後は1994年に近隣の弘前市にオープンした「シネコン」の影響が大きく、2005年に閉館となってしまいました。

羽二重旦那が前身のオナリ座で観た最後の映画は、「釣りバカ日誌15ハマちゃんに明日はない!?」でしたが、その時は観客が私を含めて3人という状況でした。

2005年の閉館から復活するまで約10年の歳月が必要となります。千葉から救世主がやって来るのですが!

さんオナリ座再開時切替

この写真の方が救世主なのですが、続きは明日にさせて頂きます。

現在オナリ座が存続出来ているのは「奇跡の積み重ねによるものだ」そう感じる山田桂月堂の羽二重旦那でした。


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