バルセロナオリンピック金メダリストの平成の三四郎こと、古賀稔彦氏が7月9日大館にいらっしゃいます。以前のブログでも触れましたが、私も柔道を中学、高校でやっておりました。今日の羽二重旦那の日記は私も尊敬する稀代の柔道家古賀稔彦氏の紹介になりますので、本日もよろしくお付き合い願います。
平成の三四郎!!
柔道界において、小柄でありながら大きな選手を相手に活躍した選手に「三四郎」とニックネームをつけて呼ぶのは、富田常雄の長編小説「姿三四郎」からです。主人公「姿三四郎」のモデルが実在の人物である、西郷四郎といわれ、その身の丈は五尺一寸(約153センチ)、体重が十四貫(約53kg)と小柄であった事に由来してると思われます。柔よく剛を制すといった所でしょうか。
昭和に三四郎と呼ばれた柔道家には「木村政彦 」、「岡野功」などがおり、女三四郎と呼ばれたのが「山口香」、そして一番新しい、平成の三四郎がこの度大館にいらっしゃる「古賀稔彦 」です。
因みに柔道界唯一の国民栄誉賞「山下泰裕」は重量級のため三四郎の異名は付いておりません。
1990年伝説の全日本柔道選手権大会!!
一般の方にはあまり知られていないかも知れませんが、古賀選手は日体大在学中にソウルオリンピックにも出場しております。3回戦で敗退したので記憶している方は少ないと思いますし、何といってもバルセロナオリンピックの印象が強すぎてそれ以前のことを忘れがちになります。
しかし、平成の三四郎の異名通りの活躍がバルセロナオリンピック以前にあったのです!! 時は1990年、平成という年号が2年目を迎えた年の全日本柔道選手権大会です。
全日本柔道選手権大会とは、体重無差別で真の日本一を決める大会で、この当時はまだ柔道世界一を決める大会といっても過言では無かったはずです。そんな中、この年の古賀選手は並み居る強豪重量級選手を次々となぎ倒し決勝戦までたどり着きます。
決勝戦の相手「小川直也」は前年に全日本の他に世界選手権2階級を制しており、まさに当時世界最強の柔道家でした。古賀選手は決勝にたどり着くまでに重量級選手との対戦が続いたため体力の消耗が激しく、残念ながら小川の前に力尽きてしまいます。スポーツの世界に「たら、れば」は有りませんが、これが現在ならば古賀選手は全日本を制していたのでは? そう感じてしまうのは、小川直也も偉大な柔道家だったからです。
日本中を感動させるバルセロナ前にもこんな伝説を残しているのが、「古賀稔彦」です。大館に来るのが今から待ち遠しい、山田桂月堂の羽二重旦那でした。
<続く>
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