東日本大震災から5年で山田桂月堂の羽二重旦那が感じること(前編)

奇跡の一本松

明日で東日本大震災5年となりますね、昨日の事のようにも感じ、また遠い昔の様に感じるのは私だけでしょうか? 今日の羽二重旦那のの日記は震災から5年が経過して感じることを綴りたいと思いますので、よろしくお付き合い願います。

大館は長~い停電でした!!

まずは震災当日を振り返ってみます、震源地とは離れた大館でも今まで経験した事のない長ーい揺れでした。そしてどのタイミングかはおぼえていませんが停電!! その時は停電が長引く事など思ってもいませんでした。

当時、上の羽二重っ子を保育園に預けていたので、とりあえず迎えに行かなければと思い保育園に向かいました。信号も停電の為止まっていたので慎重に運転した事は鮮明に憶えています。

保育園でも子供達をはじめ皆パニック状態でしたが、うちの羽二重っ子は大きい揺れの中でも昼寝から目覚めなかったらしく、いたって普通でした(笑)

羽二重妻も暗闇で負傷

停電はその日の夜になっても続き、ろうそくの灯りを頼りに過ごしました。何はともあれご飯は食べなければいけませんので、母と羽二重妻で晩御飯の支度を始めたその時です。

大きな悲鳴が・・・・ なんと羽二重妻が包丁で手を切ってしまったのです。 幸い大事には至らなかったのですが、皆様も暗闇での包丁は気をつけましょうね。というか暗闇で包丁は控えましょう(笑)

停電の中一夜を越すのは人生初体験でしたし、ラジオの情報も手伝ってとても不安な夜だったと記憶しております。結局大館の停電は翌日3月12日の夕方まで続きました。

今日は当日の事だけで残念ながらお時間となりましたので、震災から5年経過して感じることは明日にしたいと思います。思い起こすといろんな思いが駆け巡った5年前、そう感じた山田桂月堂の羽二重旦那でした。

 

 

 


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