明けがら寿の紹介第一部は今日で最終回とさせていただきますので、もう少しだけお付き合い願います。
山田桂月堂の明けがら寿の箱が明けがらすの象徴的存在になっていると感じます。
先のブログでも紹介しましたが、山田桂月堂は大館駅に商品を納めるため駅の近くに移転して来ました。そして、明治、大正から昭和初期、鉄道の発展と共に明けがら寿が全国に知れわったっていく事になります。
手前みそではありますが、全国的に知られる銘菓になったのは、駅で販売していた山田桂月堂の貢献度は高いと私は確信しております。現在でも山田桂月堂の明けがら寿の箱を目印に全国各地から、注文して下さるお客様が多数おります。
この箱を探していた、明けがらすと言えばこの箱だと、その箱がしたの写真です。
大館城、忠犬ハチ公、そして一番上にある山田桂月堂のマークが目印となっているようです。このデザインは、ほぼ変わらず受け継がれており、レトロ嗜好の愛好家からは、絶賛されております。
山田桂月堂の明けがら寿は岸朝子様監修の全国五つ星の手みやげにも掲載
山田桂月堂の明けがら寿の掲載された、冊子は数知れませんが、最近取材する情報誌などの記者が必ずと言っていいほど文面に入れるのが、「岸朝子の全国五つ星の手みやげにも掲載されています」です。
この本に掲載された事が停滞気味だった明けがら寿が今一度見直されるきっかけになりました。
今は亡き岸朝子様ですが、心から御礼申し上げます。
いまだに根強いファンが多い山田桂月堂の明けがら寿を今後も続けていくためには、羽二重旦那の頑張り次第、そう感じる大館銘菓明けがら寿製造元、山田桂月堂四代目でした。
あわせて、